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江戸時代の各藩が、いずれも財政のやりくりに困り、領地の産物を
売り広めたが、水戸藩では、久慈郡保内郷にできるこんにゃく栽培
を奨励し、原料を藩の専売とし江戸には専売所を、大阪には特約商
人をおき、おおいに水戸産こんにゃくの名声を高めました。
武士の商法とはいえ、品質を落とすものは入牢を申しつけるまで
手厳しい取り締まりをしたといわれます。
万延元年(1860年)3月、桜田門外に井伊大老を襲った水戸藩士らの
行動資金は、こんにゃくを扱った商人たちが貢いだものといわれます。これより先に、保内郷の中島藤右衛門(1745〜1825年)が、こんにゃく芋を乾燥して粉にすることを考案し、そのため水戸のこんにゃくは各地に売り出されて名声を高めるとともに、生芋の製粉化は貯蔵、輸送ができるようになり、今日のこんにゃく産業のいしずえを築いたわけです。
このように、藩として奨励し産業化したのは水戸藩であり、その後明治以降には各県において、それぞれ奨励指導等を行って今日にいたっています。
また、こんにゃく栽培がどこからはじまったかは、はっきりしませんが食品としてのこんにゃくの文献等から奈良、京都等近畿地方からはじまり中国、関東、東海等に広まったものと思われます。 |